ブラザーズ珈琲物語13
ぶた釜物語2
あれから10年ほど過ぎたが、今でもこのぶた釜焙煎機を操作するときは緊張する、暴れぶた釜といわれる所以である。
確かに機械的な操作はもう既に身に付いているが、現代のデジタル化された焙煎機からは想像すらできないだろう。
昨日も夕方から4時間ほどの作業をしたが矢張りしりもちを着くようなことがあった。
ではぶた釜との付き合いを紹介しようと思う。
広島の卸業者セイコーコーヒーから中古品として現金取引で購入した.
納入はスピーディにできたが、こういう機械装置は直ぐには稼働できない。
本体の設置は勿論のことあらゆるシステムの調整が必要になってくる。
ガス、電気、水道、排煙、生豆の流れなど、仕入れたコーヒー豆を焙煎して商品になるまでのフローチャートが頭の中で絵が描けなければならない。
当然ながら、マニュアルがあるわけでもなく、誰かが教えてくれるわけでもない。
扱うものが単なるこーひーという飲み物だけではなく、電気、ガスという非常に危険なものと関わるので、一つ一つを慎重に、確実に念には念を入れなければ大事故に繋がる。
2~3日掛けて一応機械装置の設置は完了した。
その日は始める準備のため少し疲れ気味ではあったが、これからこのぶた釜焙煎機を使うという期待と緊張感、そして嬉しさが合わさって少し興奮ぎみであった。
先ず初めに、モーターのスイッチを入れると窯が回転する。
次にガスの種火を付ける。
現代システムの焙煎機であれば完全に電気系統と連結されたものである。
つまり車のセルモーターのようなものである。
しかし、そのようなものであれば何の心配もないはずであるが、この焙煎機にそんな現代的なシステムはあり得ない。
では何で着火するのか、近所の日曜大工店から買ってきたチャッカマンライターで種火をつける。
他愛もないような作業である.
私もそのように思ったものである。
その次にバーナー本体に着火、スムーズにいった。
あ~、うまく行ったと思いチョットだけ安心しすると疲れがドット出てきたので少し窯が温まるまで見守ろうと思い椅子に座り休んでいた。
そのうち眠気に襲われた、これはまずいと思って朦朧としている時、ブラザーズの兄貴が焙煎室に飛び込んできた。
何故かといえばこれまでの1キロ焙煎機は、事務所、喫茶店、倉庫と一軒の建物の中で作業できるがこのぶた釜は当然ながら1キロ釜より大きいので
本店から1キロメートル程離れた場所にあるのだ。
兄貴は大丈夫かぁ~といって入ってきたので、私は大丈夫と言ったもののチョット疲れたよと応えた。
そして、二人で先ほど着火したガスの火を確認した。
何か変だ。火が赤い、本来ガスの火は青いはずである。
兄貴が、これはすぐガス屋に電話しろという。
こういう時は携帯電話は便利なものである。
ものの10分もしないうちに何時ものガス屋の店長が来た。
来るや否や、これはまずい、危険だ、一酸化炭素が出ている。
すべてのガスを止めて、換気扇は着けるな、静かに窓を開けて、静かに行動せよ。
それまでボーとしていた空間に極度の緊張感が走った。
危なかった、一酸化炭素中毒になるところだったのだ。
それで眠たくなったのだ。あの時兄貴が来なければ今頃は、、、、。
このように私が困っている時は何時も助けてくれた兄貴であった。
原因は分かった。
ガスバーナーが都市ガス用であった。
この焙煎機は以前は東京で使われていたそうである。
故にそのまま運ばれてきたのだった。
勿論、卸元のセイコーコーヒーにクレームを報告し、プロパンガス用のバーナーと交換した。
後から分かった事ではあるが、このバーナーも既製品ではなく外注で作ったものだったようである。
決して安物ではないはずである。未だ焙煎作業が始まってもいないのに大騒ぎであった。
今日はこれで終わりましょう。
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