ブラザーズ珈琲物語4

4,ブラザーズ珈琲の夢 今から思えばブラザーズ珈琲は商売や事業とは程遠い思いから出発した。先ずはコーヒーに対する知識も無く、経験もなく、資金もなく人材もない状態から出発した。有ったのは還暦前の年寄りが、少年のようなでっかい夢だけを持って始めたのである。その夢とは、献上コーヒーの匠の技を残したい、継承したいというものだけではなかった。何故ならば私たち二人には共通する思いがあった。それは若い20歳代に世界中の人々と交流したことであった。私たち二人はずっと一緒に生活して来たわけではなかった。 途中二人はそれぞれの道を歩んだ。二つ年上の兄は事業の経営者として数千人の会社を次々と経営し成功させた。若いころの私には雲の上の人だった。況してや共に仕事をしたこともなかった。私はといえばいつも現場であった。販売、営業、ボランテア活動、管理部門作業員、運転手苦しい20代、30代であった。所謂、労働者であった。そして出会うことのなかった二人が60歳を目前にして不思議と出会い、意気投合したのも不思議なことである。これだけ人生路程が違えば、考え方、思想、価値観など異なることが殆どであろう。 ところが、我らは二十歳そこそこの時と少しも変わっていなかった。その純粋さ、明るさ、そして思いやり、40年近い時間がタイムスリップしたかのようであった。二人の義兄弟の志は、ただ単に献上コーヒーを成功させ金儲けしようという動機だけではなかった。二人は相分かれて全く違う人生を歩んだが、結論は非常に近いものであった。それは即ち、その間二人は全く別の世界で世界中の人々と出会いを体験している。そこで体験したものはこのブラザーズ珈琲経営方針の基になっている。 即ち世界の人々の貧富の差、つまり南北問題である。我々が親から聞いてきた戦時中よりはるかに厳しい生活をこの21世紀になっても強いられている人々がいることを知ったからである。ブラジルでは空き地に草をくみ上げて作った小屋で家族が暮らしていた。しかし、6ヶ月するとギャングのような連中に機関銃で射撃され逃げ惑う放浪者。フィリピンでは人々が行き交う道端の軒下で産まれ落ち育てられた少女がいた。これは童話でもなく、フィクションでもな現実であった。世界には最もっと悲惨なことはあるだろう。 これを何とかしたいという衝撃的な思いがこのブラザーズ珈琲立ち上げの動機になっている。幸いにも二人の友人知人は東南アジア、アフリカ、中南米などにいることが分かった。コーヒーの生産地とほぼ重なっていた。それならば、ピンチはチャンスとはこのことだ。この献上コーヒーの技術を開発途上国の知り合い達に伝えて生産農家など苦労している人々に美味しい日本の献上コーヒーを飲んでほしい。そして、どれだけ出来るか分からないが、この献上コーヒーで少しでも豊かな暮らしをして欲しい。このような共通する思いがあったことは今でも思い出す。そして今でも変わらない。これがブラザーズ珈琲の夢である。今日は少し熱くなりました、ここら辺で終わりといたしましょう。

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